右、斜め45度

右斜め45度は、「Done is better than perfect!」の日本語訳のつもり。進んでいれば良しとする精神を大事にしたい。

コンテンツの本質をここまで深堀したものは見たことありませんでした『コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと』川上量生

いま、総合書店サイトで、「編成(コンテンツの並べ方)」とはどうあるべきかを考えるポジションにいるため、
おのずと考えることが多くなった「コンテンツとは何か」。それについて、非常に緻密な分析と示唆に富んだ一冊です。

様々な定義が為されていますが、一番しっくりきたのは、以下の定義。

コンテンツとは、わかりそうでわからないもの。

人間にとって、現実を模倣(シミュレーション)することは、生存にとって有利であったと解釈されてます。
だからこそ、わかりそうでわからないもの(=簡単に模倣できそうでできないもの)とは、何度も消費するに値するものとされてきたというわけです。

では、わかりそうでわからないとは、客観的にはどういう状態なのか?というと、

 小さな客観的情報量により、大きな主観的情報量を表現するもの

ということです。

なるほど、現実を模倣するためには、消費したそのヒトに主観的な情報が多く発生する(=いろいろな気づきがある)のが良いコンテンツなわけですね。
ゲームが実写に近づこうが、実は主観的情報量が増えなければ、良いコンテンツとは言えないというわけです。
主観的情報量を多く発生させるには、パターンに限りがあるストーリーではなく、表現方法を凝るのが合理的とされてます。
面白いエピソードがあったので記載します。

なぜトトロがヒットしたか?といえば、トトロのおなかがふわふわしてて、なんだか触るとへこんだりしてきもちよさそうだからに決まっている。
魔女の宅急便の最後、とべるようになったのかについては、あかされてないが、誰も気にしない。

小説家になろうというサイトで人気のストーリーは、異世界転生モノ。
どのように転生するかという転生方法もパターン化されており、たいていはトラックに轢かれるというもの。転生トラックといわれている。
ユーザジェネレーティッドコンテンツは、パターンが多いように見えてそうではない。コンテンツの多様性を保つためには激しい戦いをしてはいけない。競争が増えると、ソーシャルゲームのようにワンパターンになるのだ。

ふむ、もしかしたら、本の定価が維持されることは、過度に競争に巻き込まれないという意味で、コンテンツの幅広さに貢献しているのかもしれません。
いままで考えたことなかったな。ユーザジェネレーテッドコンテンツの方が多様性が生まれると思ってた。
リエーターは、上記のことを考えたうえで、表現方法に凝り、あの手この手で飽きないものを作り続けているヒトということでしょう。
最後に、その中で天才クリエーターとは何かが書いてあったので、それも参考までに。

なぜ宮さんは、きもちいい形を正確にかけるのか。おそらく目が見たとおりをそのまま描いているだけだと思います。つまり脳が認識して、受け取った情報のまま紙に写しているので、それが結果的に脳が理解しやすい形になるというのが宮崎駿の秘密だと思います。つまり、天才とは自分のビジョンを表現してコンテンツをつくるときに、どんなものが実際にできるのかシュミレーションする能力を持っている人である。

ふと次に考えてみたいことが決まりました。
ピカソはなぜ偉大なのかです。

昔、母親が、「こんな絵なら私でも書ける」と冗談を言っていたことを覚えています。僕は、冗談だとしても、「それは絶対無理だ」と思っていました。
それは、見たときにこれほどまでにいろいろな感情を掻き立てるものは、やはり、凄いと思っていたからです。
上記の定義に照らせば、大きな主観的情報量を与えているからということになります。そんな気もします。
どのようなことを考えて、あの画風に行きついたのか、今度はそれを考えてみたいと思います。