SNSは、なんで飽きちゃうのか?
ちょっと前のブログですが、こんなのが流行りました。
SNS衰退の理由を考えるとどうしても「人間関係に飽きた」に行き着く | imasashi.net
ようは、SNSというものは、デザインがどうのとか、機能がどうのというよりも、新しい(=人間関係を刷新できる)ということが重要であり、ゆえに数年単位で、皆、SNSを移動させていくというお話です。
では、何故、人間関係を刷新したくなるのか? と。
この筆者は、その理由について、以下のように言っています。
で、自分が言いたいのは、「精神的な欲を満たす行為は、ルーチンになると長続きしない」、ということです。 それは「人間関係に飽きる」からです。
これはもう完全に感覚だけで言っているのですが、mixiのメインターゲット層である日本の若者は、「人間関係が恒常安定化した状態」に長く浸かることに慣れていない。
日本社会というものは、小学校、中学校、高校、大学…と数年スパンで人間関係が強制的に刷新されるシステムになっており、それはリアルだろうがwebだろうが同じだろう、という推論です。
確かにそうだなーと思うんですが、単に「飽きちゃう」だけではないと思います。
SNSにログインした後の友達が増えていく状態をイメージしてみると、最初は、とても仲が良くて頻繁にやり取りをしている友達と繋がります。で、途中から、会社のヒトや、一回会っただけのヒトが入り始めます。100人〜150人を超えるあたりから「どんな知り合いが友達だったのか」もよく分からなくなる状態になります。
# 会社も150人を超えると社長が全員を把握できなくなり、いわゆる、組織という仕組みが必要になると言いますが、それと同じだと思います。
そうやって友達がSNS上で増えてくると困ったことが出てきます。
どんなに薄い関係であっても、友達か/そうでないかというフラグのみであること
親友フラグとかもあったりするじゃんという反応も聞こえるかと思いますが、そういう話じゃないんです。このヒトは親友、このヒトは知人 というように、自分の声を届けるレベルをいちいち分けられるかっていうと、面倒くさすぎて、できっこない。リアルならば、会ったヒトにしか届けないというフィルターが自動的に掛かるけどね。従って、10年来の友達も、昨日合コンで知り合った友達も、「同じくらい友達」と一緒くたにされるわけです。
誰が自分の投稿を見て、どんな気分を抱いたかが 分かりにくいこと
リアルに会っていたら、相手の反応を見て話を変えたりできますが、相手の反応が分からない(ポジティブな反応は、「いいね」で分かりますが。。。)以上、相手にとって永遠にウザい話をし続けている可能性があります。これは、友達が増えて、誰がいるか把握できなくなってくると余計に分からなくなることだと思います。
つまり、SNSで過ごす時が長くなるにつれて(=つまり、どうでもいいヒトが増えるにつれて)、だんだんと発言できる「幅」(自分の中で誰にでも言ってもいいこと という範囲)が出来ちゃうんですよね。元々は、仲間うちだけで何を話しても大丈夫な場所だったのにです。
で、王様の耳はロバの耳じゃないけど、ちょっと爆発させたい! と思って、そういうタイミングで新しいSNSがあったりして、移住しちゃうってわけです。
話を纏めると、人間関係をデジタルに表現したということ自体の功罪なのかなと思います。もちろん、むかーしの友達と再会できたりして楽しいというメリットもあるんですけどね。