右、斜め45度

右斜め45度は、「Done is better than perfect!」の日本語訳のつもり。進んでいれば良しとする精神を大事にしたい。

ランダムサンプル選挙という考え方

wired vol5 を読んでいて、引っかかったのが、ランダムサンプル選挙というもの。

およそ2500年前にアテネ市民が練り上げた民主主義の概念は、現代世界でも高く評価されている。ただし、それは1人に1票といういまの民主主義とは異なっていた。アテネでは、執政官を市民からランダムに選び出すシンプルな仕組みが用いられていたのだ。

この仕組みが、いま、見直されようとしている。

まず、統計的に有意な標本数というのは思ったより少ない。
米国3億1300万人の人口だと、10万人ほども投票人がいれば、信頼できる結果が得られるという。日本だったら、数万人でいいということになる。当然ながら、選挙に掛かるコストは少なくてすむはずだ。

次に、ランダムサンプル選挙を取り入れるべき積極的なメリットについて。

現行のシステムでは、熟考する時間/知識がないので、人によっては候補者の髪型が好きかどうかで決めてしまっていることもある。これは、社会問題が複雑化すればするほど、この傾向が強まっていく。そうなると、選ばれる方も、投票人に媚びるような「イメージ戦略」に走ってしまうのはやむを得ない。一方で、投票人が少ないならば、例えば、何日間か講習などを開くこともできる。加えて、投票人自体も、選ばれたという自覚により、自発的に勉強をすると思う(少なくとも自分ならそうだ)。つまり、複雑化した社会問題に対して正しい判断をできる投票人による選挙が可能になるということだ。

また、この制度は、選挙資金改革にまつわる問題も解決してくれる。少数を無作為に選ぶとすると、テレビ広告を打つのは鈍重な感じがする。各戸訪問や電話攻撃もなくなり、政治家は何百万もの資金を集める必要もなくなるのだ。


ここまではなるほどね〜という感じだったのだが、この特集の最初に書いてあるアリストテレスが言ったと言われる一文が一番気になった。

1人1票は寡頭政治を招き、力のある個人が大衆に不当な影響を与える状態になるという。

たぶん、煽動とか暴動とかが起きる論理と近いのだろうね。
みんながみんな、同じ権利を持つっていうのはとても厄介だ。


ある程度、各個人の得る情報・権利に不均衡があった方が、システムとして安定する(ある程度は予測が可能、コントロールが可能)ことがあるのだ。例えば、国だって会社だって、どのレベルの情報を誰まで知っているか?というのをコントロールすることは、とても重要なことなのだろう。


ちょっと脱線したけれど、ランダムサンプル選挙というのは、僕の中でちょっと新しい概念だったし、色々考えが広がったということです。