右、斜め45度

右斜め45度は、「Done is better than perfect!」の日本語訳のつもり。進んでいれば良しとする精神を大事にしたい。

成長すること自体を楽しむこと『勝ち続ける意志力』梅原大吾

生の哲学のような本だった。


勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)


「勝つ」の延長にありそうな「勝ち続ける」は、実は、全くの別物であることを、著者の実体験を通じ、リアリティある言葉で書かれている。

僕も、2月から新しく動き出す。
自分の好きな分野で、とことん考え続け、「わかったわかった」とみんなに言われるまで粘るつもりだ。今年の12月に、もう一度、このエントリーを見て、僕自身の成長を振り返ってみたい。


1.好きなことで勝ち続けるために何が必要かを問うこと。

これで勝負する、というものを決めること。そして、それに何が必要かを自分に問うこと。それを小学生のときから続けている著者は、やっぱりすごい。

「俺は、部活もしなければ勉強もしない、代わりにゲームをしている。それならば他の人間が部活や勉強に注いでいるのと同じくらいの、いいや、それ以上のやる気と情熱を持って、ゲームに向き合わないと、あまりにも格好悪いじゃないか。よし、これからは1分も無駄にせずにとことんゲームを追求してやるぞ」それは、コンプレックスが生み出したすさまじいエネルギーだった

2.勝ち続けるためには、迷い・苦労し続けることであることを知ること。

継続は力なりというのは、頭では分かってても、自分だけのウルトラ大逆転があったりするんじゃないか?と考えちゃうのが、ずるい人間ってもの。でも、みんなそう考えていることに気づくと、やっぱり継続し続けるしかないことに気づくよね。

僕よりもセンスのあるヒトは大勢いたと思う。だけど「コイツはしつこいからもういいや」という感じで、ほとんどのヒトが諦めていった。当時の僕は勝つまで勝負を挑んでいたから、最後は誰もが根負けしたのだろう。

センスや運、一夜漬けで勝利を手にしてきた人間は勝負弱い。僕はこれまで頭の回転が速く、要領が良く、勢いに乗っていると思われる人間と何度も戦ってきたが、ただの一度も負ける気はしなかった。それはなぜか。彼らと僕とでは、迷ってきた量が圧倒的に違うからだ。実力に開きがあった子供の頃は一方的に攻め込まれたり、負けたりしたこともあるが、ある程度の年齢になってからは必ず勝つという自信が揺らぐことはなかったし、後ろに引き下がるような戦いを見せたこともない。僕はこれまでの人生で何度もミスを犯し、失敗し、そのたびに深く考え抜いてきた。だから、流れに乗って、勝利を重ねてきただけの人間とは姿勢や覚悟が違う。何も考えずに、自分のセンスと運だけを頼りに歩いてきた人間と対峙すると相手の動きがちゃらちゃらと軽く見える。性根が定まっていないこと、更には綿密な分析に基づいた動きでないことに、すぐ気づくのだ。

結局、効率のいい考え方、効率の良い勝ち方というのはたかが知れている。便利な技というのは応用が利かない。その技が全て。つまり、自分自身は何も成長していない。システムに頼っているに過ぎず、自分は少しも工夫していない。だから、便利な技が通用しなくなったとき、技自体がなくなってしまったときにはどうすることもできない。一方で、便利な技に頼らず、ゲームの本質を理解しようと努力してきた僕は、その技が使えなくても、キャラクターが変わっても、少しも動じることがない。何が違うのか、どこが強いのか。周りの人間が明確にその違いを指摘できない状態にまで持っていければ、そのゲームで負けることはない。

10の強さを手にする方法は簡単に教えられる。が11、12、13の強さを手にする方法はことばでは教えられない。それでも口に出して言うとすれば、「すべての可能性を試した果てにあるもの」ということになるだろう。

とにかく大事なのは、変わり続けることだ。良くなるか悪くなるか、そこまでは誰にも分からない。しかし、経験から言うと、ただ変わり続けるだけで、最終的には必ず高みに登ることが出来る。


3.迷い苦労することで得る「成長」自体を人生の目的とすること。

小学生の頃、誰よりも勉強ができたんだけど、それって、こんな感覚だったな。知識が増えること自体に面白さを感じてたわけで、勉強がノーストレスなわけ。中学生・高校生の頃は、色々と邪念(恋愛とか)が入って、そういう欲求は停滞してたんだけど、大学の時の研究や社会人になってからの仕事への向き合い方は同じ感覚ですね。連休終わりの日、仕事が出来ることがワクワクするなんて、とてもオメデタイでしょ?

大会というのは、日々の練習を楽しんでいる人間、自分の成長を追及している人間が、遊びというか、お披露目の感覚で出るものではないだろうか。大会における勝利は目標の一つとしてはいいかもしれないが、目的であってはいけない。大会を目標にしてしまうと、大会で勝った瞬間にもういいだろうと鍛錬をやめてしまう。目的は、あくまで成長し続けることである。矛盾するようだが、結果に固執しないと結果が伴う。いま、大会に出場するときに僕が抱いているのは、自分のプレイを見てほしいという思いだけだ。「俺のプレイはどうだ?勝負の内容をしっかり見てくれよ」と思っている。その結果、勝率は、「勝ち」を意識していたころよりも高くなっている。

絶対に負けられないと思っているプレイヤーは、だいたい土壇場で萎縮してしまう。一方で、日々の練習に60の喜びを見出していると、負けても毎日が楽しいから大丈夫だと気を楽にして自然体で勝負に挑むことができる。結果、リスキーな場面でも大胆な行動に出ることができる。

今日よりも明日が良くなければ、何のために努力しているのか分からない。継続的な成長を目指さないのであれば、協議から退いたほうが良い。喜劇王であるチャールズ・チャップリンはあるインタビューで「あなたはいままでたくさんの劇を作ってこられましたが、自分のいままでのなかで最高傑作はどれかと聞かれたらなんと答えますか?」という質問に対し、「次回作だよ」と答えたという有名なエピソードがある。