偉い人すら悩んでいた!生き方について学ぶ『私の個人主義』
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1978/08/08
- メディア: 文庫
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千円札になるような人物が、自分の生き方についてこんなにも悩んでいて、最初は、浮ついた気持ちで西洋文学をしていたのか!と知ることが驚きでした。自分が西洋文学を嗜んでいたときを振り返り、こう貶すのです。
ある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、無闇にその評を触れ散らかすのです。つまり鵜呑といってもよし、また機械的の知識といってもよし、到底わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものを我が物顔に喋って歩くのです。しかるに時代が時代だから、また、みんながそれを誉めるのです。けれどもいくら人に褒められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手も無く、孔雀の羽根を身に付けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華を去ってしじつに就かなければ、自分の腹のなかは、いつまでたってって、安心はできないということに気がつき出したのです。
で、そもそも、国民の気質が違うものを批評できるのか?という疑問にたどり着き、まず、自分の立脚地を固めるため、文芸とは全く縁のない科学や哲学の書物を読み始めた。根無し草と知った後のスタイルが面白い。で、西洋人ぶらずに、自分の良いというものをむしろ西洋人にぶつけてみよう!という事業に行き着くのです。彼が、同じように悩む若者にたいして言い放つ下記の言葉は胸を打ちます。
何かに打ち当たるまで行くということは、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても必要じゃないでしょうか。ああ、ここに俺の進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出されるとき、あなた方は始めて心を安んずる事ができるでしょう。
で、そのような「自分の足で立つ=個人主義」を大事にするということは、当然、他の人の個人主義も大事にしないといけないと諭します。僕がいちばん面白いと思ったのは、弟子との関係性について。
意見の相違は、いかに親しい間柄でも、どうすることもできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるようなことは、他に重大な理由のない限り、決してやったことがないのです。私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向こうの気がすすまないのに、いくら私が汚辱を感じるようなことがあっても、決して助力は頼めないのです。そのが個人主義の淋しさです。個人主義は、ひとを目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持ちがするのです。
生きるということは上記のようなことかもしれないですね。